中秋の名月と巴橋     月より・・・・

Friendly eye information
あんどう眼科医院
三次市三次町巴橋西詰
No365.2013.9.24.〜 院内にて配布
         お知らせ

 
 年末年始のお休み
  12月30日(月)〜1月4日(土)
 28日午前は、第4土曜日
 ですが診療をします。


 口和インターチェンジ
 尾道・
松江高速道の出入りが
 出来なくなっていましたが、
 
9月20日迂回路による
 応急復旧工事で利用可能に
 なったそうです。抜本対策を。
   
              

 眼球の中で光を感じるところが網膜です。
その中心を黄斑(おうはん)部と呼びます。
黄斑部の視細胞機能の状態が視力を左右します。
この大切な場所が年齢とともに障害される病気が、
加齢性黄斑変性症です。

 iPS細胞から作られ最初に移植される予定の細胞は
視細胞ではありません。
視細胞のその奥にある網膜色素上皮細胞を変えようと考えています。

 傷んだものを取り出し 
iPS細胞から作った薄い膜状のシートを
注入するものです。
この細胞には色素が多く含まれているので
確認しやすく扱いやすい。
移植する細胞量も少なく、移植術も
その後の観察も直接眼底を観察できるので確認しやすく、
腫瘍性変化を起こしても早期に発見でき対処しやすい等で
眼科からスタートしやすくなりました。



                
 中国新聞8月14日6面 広 場 に
社会思想史研究者 白井 聡さん
35の「敗戦」は
今も続いているという
オピニオン;意見が掲載されていました。

 お読みになりましたか?
しっかりした意見です。 

 日本はいまだに、中国や韓国などから歴史認識にきびしい目を
向けられ、あつれきが生じる。
なぜこのような状況に
あるのか。
・・「敗戦」をなかったことにして
「終戦」とすり替え
対米従属を続
けてきたからだ。
日本が再独立したあと

日本の
指導者になったのは、復権した
戦前の支配者層
戦争責任をあいまいにしようとした。
戦争は終わったと、
刷り込んできた。
それを容認し支えてくれる米国に屈従することで
戦後の基本構造
が形づくられたわけです。
日米の支配者層が合作の
デモクラシーごっこ」をしてきた。
戦前と日本のシステム
基本的に違っていません。
国民の安全よりも、体制の保持が優先する。
戦争を終わらせる決断も、
国民を救うことよりも体制の自己保身に
重点がありました

もはや「平和と繁栄」という戦後の物語の
終わりです。
原発事故は、権力中枢の無責任ぶりや愚かさを 
さらけ出しました。
歴史認識について米国からも批判されています。
敗戦を認めないことは米国による戦後処理への不満の表明になる。 
安倍政権は冷たくされる。


  日本人は何を怒るべきか?

 戦争責任者が神としてまつられている神社・・・
私たちの代表の政治家が参拝するのですから。

  戦後、まっとうな国になったはずが、幻でした。

  私たちは、これに憤る事です。
なるほど。私たちは、
  その時その時、良い選択をしたつもり
でしたが、

   ごまかされて
   きたのかもしれません。
 A級戦犯だった 岸信介が、
首相に時の運でなってしまった
のですから、ごまかされたのでしょうね。
 

 日本の現近代史
を学ばせられない学校教育もいかがなものか!
さかのぼり日本史という
NHKの番組がありました。興味深く
歴史を考えさせられました。
中学でも高校でも、現代を認識してから
さかのぼりながら
 昭和、大正、明治、幕末と学べば
   なぜ
こうなったのかと考えるクセがつきそうです。

     賢い政治家を育てるのは、
     賢い国民にしかできない事と
      よく言われます。いい本がありました。

   岩波新書 編集部編

シリーズ日本近現代史 1〜10   
        
           
          定価 800円+税

 日本が歩んだ150年とは何だったのか? 
これからどこへ行く? 日本は何を求め、どのような歩みを
進めてきたのだろうか。どこへ行こうとしているのか。

 日本を理解するうえで欠かせない根本的な問いを掲げ
それに答える書。総まとめの10冊目 だけを読みましたが、
大変重い書でした。
 歴史学は、問いかけと回答をともに
      提示するものです
と。
どう問いかけるかが大切。
 アジア・太平洋戦争の記述は、
「人と人が、殺し殺される関係の中に
投げ込まれる戦場の現実が書かれています。
殺戮の現場への想像力」 
すごいです。

  想像したら 戦争はできません。


             

 その日、京都に 偶然いました。
9月16日(月)5時7分 
携帯が鳴り始めました。
目が覚めたところでしたが
何かと思えば、 
京都・滋賀・福井に
大雨特別警報が5時5分に発表されました 
最大級の警戒をしてください。


 5時17分には、
京都市災害対策本部からも
「身の安全を守る行動をとってください。」と、
携帯エリアメール
送られてきました。
東山の近くにいたので
雨はそれほど強くはありませんでした。

テレビをつけて、ビックリ。
嵐山の
渡月橋が桂川の濁流に飲まれそうになっていました。
見たことのない姿です。
大きな流木やドラム缶でも当たったら
橋が壊れそうでした。

 珍しいことなのかと、インターネットで
探してみました。国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所の
ホームページを発見。桂川嵐山地区の現状と課題について
平成
247月。

 驚きました、5年に1度は堤防決壊の危険
さらされているそうです。それで旅館のお客さんを乗せるボートが
すぐ手配できる。渡月橋付近は一年中お祭りやイベントがあるが、
今回のような災害は昭和28年以来らしい。

 景観と、水を近くで感じられるために現状があると

結論していましたが、
今回の被害を受けてどうされるのか?
注目しましょう。 


    日本が亜熱帯化している感じですから。

 竜巻なんて・・・無関係?
関東地方や紀伊半島で竜巻被害が発生。

テレビで大きく報道されていましたが、
広島では無関係と思いきや
・・・
(対処の仕方は中国新聞
9.22.くらし22面をご覧下さい) 

 なんと三次市三和町で発生
1986年6月24日15時半頃
三和町水越峠から上壱の国道
375を横切り
世羅西方面に通過
したそうです。
幅50
m、長さ10km時速50km 1000本の木が
倒されたそうです。
500円ずつ寄付をしたことを覚えていますと、
お聞きしました。


 紫外線を、強く感じませんか?
9月も秋晴れになると
かなりの紫外線が降り注ぎます。強いや非常に強い日もあります。
外に出ているハイビスカスが
葉焼けをするのですから
すごい
紫外線量ですね。
帽子やサングラス、メガネをかけて
眼を紫外線から守りましょう

充血や翼状片、白内障の進行に ご注意を。

 9月20日(金)庄原市で2週間早くマツタケが入荷した。
8月24日からの
大雨が、9月4日までに300mmを超えていました。
気温もグッと下がる日もあり菌を刺激したのでしょうか。
2011年のように広島県で3000トン取れたらいいな。
広島の名物ですから。

 救命の手順を スタッフと一緒に専門家に来てもらって
確認しました。
 胸骨圧迫による心臓マッサージと  
AEDによる心臓電気ショック。 消防署から2〜3分あれば
救急車が
到着するはずですが、万が一のためです。