![]() Friendly eye information あんどう眼科医院 三次市三次町巴橋西詰 |
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No334.2012.7.18 ~院内にて配布 |
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当時、三次駅近くでお勤めをしていた人からお話を聞きました。 昭和47年7月9日から 梅雨前線による強い大雨が10日、11日と続いた。 11日の昼に吉田町まで人を送って54号線を走った時、 可愛川の増水がはなはだしかったそうです。 西酒屋の船所で増水が激しく山越えで帰ったそうです。 知り合いの人からよく聞いていたことですが、 11日午後7時半ごろ三次町内は、 太歳神社付近の堤防を西城川が越水し瞬く間に水に浸かった。 大内通りあたりが最も低く床上浸水となり大きな被害にあった。 尾関山下のポンプ場が威力を発揮し半日で 水は引いたそうですが、家の中は足の踏み場もない被害で大変。 冷蔵庫は、横に倒れ、水に浸からないように物を載せたテーブルも浮いて動いていた。 一方、十日市では12日午前2時ごろ 馬洗川左岸が十日市小学校付近と京蘭寺で決壊し 大洪水になった。仮堤防が出来るまで洪水が続いた。自衛隊が大活躍。 ちょうど今年も11日.12日と九州中部が大洪水で大変な被害が出ています。 阿蘇山めざして雨雲;大積乱雲が高さ15kmまで発達し次から次へと襲寄せた。 『これまで経験したことのないような大雨』であると最大級の危険表現。 50年に一度あるかどうかぐらいの大雨ということだそうです。 6月27日から 発表することになっていて初めて使われたそうです。 47水害の時もこの危険レベルだったのでしょう。 47年7月9~12日の三日間の 降水量は400~450mm、 尾関山下流の中所観測所で13.2mの水位を記録。 西城川が馬洗川に合流、可愛川が西から押し寄せ江の川となり北流するが 布野方面より神野瀬川がダメ押しをするように押し寄せる。 逃げ場のなくなった水は三次盆地を 埋め尽くすことになる。 洪水を繰り返しながら平地が作られてきたのですね。 さかのぼる昭和40年の大洪水の被害を受けたことから、 可愛川の水量を調整するために ダムが作られたのが、土師ダム。本格的な工事は45年からで完成は49年だった。 ダムが出来ていなかったこともあって、甲田町なども洪水でひどかったと 患者さんに聞きました。 山瀬が怖いとのこと。鉄砲水のことだそうです。 津波のように押し寄せるから。 47水害のことを国土交通省三次河川国道事務局が 講演会で解説し水害の怖さを忘れないで、 対応する能力を怠らないようにアピール。 小冊子やホームページで平成18年、22年豪雨のことも分析されています。 灰塚ダムが完成したので水量調整が可能とのこと。 しかし突然経験したことのないような 大雨が降る時代です。 ダムの管理&運用を間違いの 無いように国交省にお願いします。 ![]() ![]() 昭和47年馬洗川の破堤写真 昭和45年(上写真)と平成20年(下写真)の対比 ![]() |
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漫才コンビの『爆笑問題』が、沖縄・嘉手納基地に潜入と言うが、
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7月17日(火)ドラゴンズ戦 石原のスクイズで、 カープのサヨナラ勝ち。 貯金1が出来ました。がんばれカープ! 7月9日に久しぶりに尾関山に登りました。 きれいに木やアジサイなどが剪定されていて 気持ちが良かった。切りすぎのところもありましたが。 15年前でしたでしょうか、 梅雨の時期にも楽しめる花としてアジサイをたくさん植えられました。 大きな株に育ち いろいろな色・いろいろな種類の花が競うように咲いていました。 尾関山駅に降りてくると 亀屋さんの前にある大きな桜の木4本のうちの一本が切られていました。 数年前から花付きが悪くなっていて、今年は枯れ枝が目立っていました。 大きな枝が先日の大雨の時に落ちていたので切ることに。 地主さんありがとうございました。 この桜は昭和32年に植えられたとのこと。 昔は、あの辺りは桑畑で畑や田んぼだらけ だったとのこと。西城川の水が土手からあふれたらこちらに流れ込みますね。 尾関山下に大きなポンプ場が作られるわけです。 土師ダム、灰塚ダム建設で 立ち退きを迫られた人たちの心労を忘れてはいけません。 集中豪雨にいつ襲われるか分からない時代です。 有難うございます。 ![]() |
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