と、突然の揺れでたまげましたね。医師会の会合で「乾杯」と声を合わせて
言った瞬間でした。 ビールを飲もうと口にグラスをつける直前でした。
大型トラックから大きなものが落ちたような、ドンと下から体を持ち上げられる
感じでした。
午後7時16分。でも変だぞ、この揺れ方は。地震だの声に10秒15秒と、
時間を数えていました。幸い、横揺れは来なかったので良かったですね。
と言うことは、震源地は近いのです。高野方面かもしれませんよ。
飲食店の二階座敷にいたので火の元を心配するべきでしたが、気が回りませんでした。
携帯電話が鳴り出しました。たまたま10月から携帯電話のエリアメールが
運用開始されていました。震度5以上の緊急地震速報が出されると直ぐメールが
届くようになっていたそうでした。家からも震度5弱と連絡が入りました。
テレビのない部屋でした。皆さん携帯で、病院と連絡を取られていました。
19時16分震度5弱広島県北部でした。横揺れが少ないので震度は3位と
思っていました。君田町だけが震度5弱他は震度4と知りました。
停電が三次町や十日市の一部で8000世帯くらいに起こり不安で大変でした。
夕ご飯時の家も多く火の始末に気を使われたでしょうね。
7、鳴ヶ滝 8、小庵の滝(君田村)

1月21日地震の時に、本棚から飛び出してきた会報に載っていた地図です。
不思議です。神野瀬渓谷は神秘的だな。
平成 7年の 阪神淡路大震災
平成12年の 鳥取西部地震
平成13年の 芸予地震
平成17年の 福岡県西方沖地震
など震度4~3を感じることはあっても三次は大きな地震はない所と、
自信を持っていました。40~50年前に君田の群発地震が続いたことが
あったとは聞いていましたが、被害らしいことは聞いていませんでした。
前回の君田での地震は昭和45年(1970年)ちょうど大阪万博があった年でした。
50歳以上の人は覚えていても良いのではないかと22名の患者さんに,
1週間かけてお聞きしました。
男性10名 女性12名 年齢 65歳 ~85歳
君田町 4名 口和町 4名三次市旧市内 11名 その他 3名
昭和45年の君田地震をご存知ですか?
君田の人は、全員覚えています。口和の人は、4人中3人が覚えています
三次町では、11名中6名覚えていますと。 今回も前回も地震の震源地は、
君田町櫃田(ひつた)沓が原(くつがはら)。
北緯 34°52東経 132°53神野瀬川の上流、ですね。
さらに上流は高暮(こうぼ)ダムがあります。神しか渡れぬ神野瀬峡と呼ばれて
いたそうです。川底から噴出する炭酸ガスで川の水が青白く淀んでいると、
左の手書きの地図を描かれた広島市の先生の8年前の弁。
震源に近い患者さんのお話。
地鳴りがして地震が来た。山が鳴って揺れた。翌朝、井戸水が濁っていた。
爆弾が落ちたんじゃないかと思いましたよ。(2名)
怖くて家からとびだした。(3名)
寝むれなくなった。ノイローゼになる。
なお、正確な前回の震源地は北緯 34°56東経 132°49で、
今回の震源地の近く。さかのぼると、1919年11月01日にM5.8の
地震が三次町の北東4kmの八次村北部の山中で発生
その後余震が続き地鳴りが多く聞こえたと。花崗岩質地方においては
大震を発することなくして鳴動を続発することあるべしの記録も見つかりました。
また、三瓶山の地震はエネルギーが南方向に伝わりやすいとありました。
広報きみた 昭和46年1月号の記事
昭和45年4月18日に三次地方群発地震対策協議会を設置。
12月20日に櫃田・中の原に地震観測装置が設置された 地元の人が話す
東京大学が設置したパラボラアンテナ付きのことか?

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