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あんどう眼科医院
三次市三次町巴橋西詰
No306 2011.5.24~院内にて配布
     
          お知らせ

81516日は、お盆休みのため、
 休診となります。
受診はおさけください。

湧永庭園のバラの花が、
5月末から
  6
月中旬が見ごろになりそうです。
 お出かけください1993年開園。
 大きくなりましたね。
  15年ぶりでしょうか?
 22日にバラ園を見てきました。
 ほんの少し咲いていました。
 三次より100メートル高いのでしょうから、
 これからでした。
  

  






湧永庭園の花たち・・・



尾道と大阪が舞台だった「てっぱん」に変わって、「おひさま」を放送中。
子役さんのときは、元気があって・けなげで
楽しかった。
女学校の学生も
飴屋さんで
友達三人下校時の買い食い。
英語教師のオクトパスに立ち向かい白紙の回答を出す場面では、
昭和1
3年ごろはまだ考え方の余裕があったんだなと感じました。 
513日、14日と観なかったので、
師範学校がどうなったのかも分かりませんでした。
でも、あの
2年間はドラマにほとんどなってなかったようでした。 
昭和16年春、松本の師範学校を出た
主人公が、母校の新任教師として
晴れて戻ってきたところが先週の流れでした。
 
言いたい事があっても
すぐには声に出せない陽子。
要領が良い方ではない陽子。
自分で抱えて
大変になりますね。ふ~。 国民学校には代用教員が多くなり、男の先生にも
召集令状が来るようになる。おめでとう御座いますと言われて、
有難う御座いますとしかいえない会話。 
急にものが言えなくなったのではなく いつの間にやら、
本心を言えなくなったのだったのか? 本心を隠さないとどこかに告げ口を
されるのですが、テレビではそんな場面は見られませんでした。
 あの頃一般国民は、
戦争とはどこか遠くの外国でするもので自分の国に戦禍が来るとは
思っていなかったようです。
 
 そして
128を迎えます。1937年から続いていた日中戦争。
この節約耐乏生活で日本中をおおっていた重苦しい空気を一挙に取り払うような
戦果で大喜び。
海軍も陸軍も予算を増やし、そのうちの七割近くを海軍力増強や
対ソ戦のために回していたとのこと。国民の多くは緒戦に勝ったらすぐにでも
アメリカもイギリスも戦争をやめると思っていたらしいのが良く分かります。

 都合の良い情報だけを流し、悪い情報は隠した、いや無かったことにしておこうと、
例の困ることは、「来ない」の無責任変格活用
この国の現状と
70年前の
やられる前にやるんだ」で始めた、軍部・官僚・
政治担当者
あてにならない指導者と人や物の補給体制を軽視する脆弱な考え方。
変わらないと感じませんか?

 22
日の中国新聞日曜版解説・評論面で、
茨城大准教授 磯田道史先生が同様のことを書かれていました。
 まずは、ごまかしの「大本営発表」。
後で深刻なことが分かる。

これまでの行きがかりにすこぶる弱い。安全基準が変わっても、造ってしまったものは
原発でも建物でもそのまま使ってしまう。古いものをとめる発想が無い。
津波の想定にしても歴史的に考えていれば
5.7という恐るべき甘い基準のまま
原発を動かしておけなかったはず。

 日本人は計画され、自分の担当が分かっている
ときは素晴らしいが、エリートの決断力は素晴らしくないと。
毛利元就の三男・小早川隆景は決断の名手だったと。
決断は仁愛をもとに思案する。
当たらないときでも大外れはしないと。人の困ることはしない
逆に命や健康にかかわることは手間や費用を惜しまずにする。 

 どの政治家も、どの政党も、
与党になると同じ過ちを繰り返すのでしょうか?
日本の政治力を高める智慧を出さないと同じことの繰り返し。
阪神淡路大震災の教訓は、生かされているのか? 
色々な困難を伴う災害が
増える時代に入っています。

まともな事を、ちゃんと出来る
政治力を求めてはいけませんか?




              

 日本眼科学会で再会した茨城県水戸市の同級生の言葉。
震度
6弱、1515分の茨城県沖の余震がM7.4で強かった。 
岩手、宮城、福島三県の被害が甚大だったので、茨城県の被害が伝えられることが
少なかった。午後の診療中だったが、
患者さんに怪我も無く被害がほとんど無かった。
2月に診療所の外壁工事や空調設備の軽量化を終えたばかりで良かった。25年前に
私も勤務していた眼科病院、建物の鉄筋が切れた。立ち入り禁止
になり建て替えに
なるとの事。かれこれ築
50年たっているでしょうか。水戸の映像といえば、
高い折れ曲がったモニュメントが建っていますが、この病院のそばの廃校になった
小学校の跡地に出来たもの。倒れなかったですね、良かった。
あちこちビルが壊れて立ち入りが出来ないとか、水戸駅も仙台駅と同じように
被害がひどかった。お年寄りの患者さんで、一人暮らしや二人暮らしの人が
子どもさんのところに引っ越して減ったとか。
水戸の近くの東海村には東海第二発電所が
原子力発電110万
kwをしており怖いですね。
5月21日から定期検査に入り発電中止になった。
良かったですね。止める、冷やす、閉じ込める。しかし、核燃料を冷やし
続けなければ、福島第一発電所4号機のように運転停止中でも
水素爆発をする。
安心は出来ない。大変。
道路は波を打つようにゆがみ、ブルーシートのかかった屋根が
多く、安売りを掲げた店は立ち入りが出来ないところも多いと。
早期の余震の収束を願います。

                                             

 学会で講演するはずの米国人、仏人の先生たちが来日を怖がり予定をキャンセル。
どこからどういう情報が伝わったのでしょうか?急遽、主催者の先生たちが
特別パネルディスカッションを考えました。
「大規模災害でわれわれに何ができるか?」
~東日本大震災と眼科医療~
岩手医大、東北大学、福島県立医大 山形大の教授たちが
その日からの経過とどう立ち向かったかを報告。
地震被害よりも津波被害の甚大さが今回の特徴で
負傷者は元気な人が多かった。死者行方不明者が多くて救える人が
少なかったと。東北大学病院の被害が大きくて山形大学を先頭に周辺の大学病院や
大病院が助け合って患者さんの診療をしているとのこ
と。手術をするにも消毒滅菌の
施設が使えない。周辺の病院がそれらを代行してサポートし、手術ができるように
なったとの事でした。
情報を一か所に集めて
朝昼夕と連絡会議を重ね大学病院の機能を
守ったと。白板に絶えず新しい情報を書くようにしたと。
旧式でも効率が上がったとのこと。
水戸市の先ほど紹介した病院長からは、茨城県の被害の報告や、福島県よりの地域の
病院をサポートしている報告がされました。
 どこの場所でも大きな災害の発生が
考えられます。その時、何を第一に考えて行動するか方針を早めに決めることが大切。
走りながら考え修正し走り続ける。現場の意見と要望にいち早く対応することですね。
地震と津波にとどまらず、
フクシマでは原発事故が起こり対応が難しい。

 核エネルギーの巨大さと破壊力に
ヒトは正しく対応できるか心もとない。

現在日本にある原子力発電所54基中壊れたり定期検査で発電をしていないものは
35基だそうです。浜岡発電所も停止してくると7割が発電中止となります。

原発無くても成り立つ日本
ができるか試されます。

 春が遅く来て、やっと暑く
なったかと思ったら昨日今日と寒いですね。
梅雨入りが早そうです。
九州はもう梅雨入りとか。今年はすずしめの夏に成りそう?