Friendly eye information
あんどう眼科医院
三次市三次町巴橋西詰
No285.2010.7.22 ~院内にて配布
     
          お知らせ

○8月13日(金)~16日(月)は
 お盆休みのため休診です。
 
ご注意ください。

○新幹線の工事用の車両がトンネルの中で
 追突をして 脱線した事故。
 
8両と6両の車両で両方とも脱線。
 トンネルの補修のためのコンクリートを
 多量に 積んでいて重いので難工事。
 先で工事中と知りながら、
JR西日本
 シッカリ してください。

 余計な事故を作らない!


○庄原のゲリラ豪雨は、大雨に耐えていた
 山肌に 多くの、大きな爪跡を残して
 大災害になりました。 三次市の粟屋・
 三良坂・甲奴でも土砂崩れで 被害が
 出ました。 怪我をしないで

 復旧工事をして下さい。
 お見舞い申し上げます。

  


                
話題になっている 熱中症についてお聞きします。

(1)
暑くて、汗をかいた時に水分をとりますか?
  とります。9人 とらない。 1人
 

(2) 
水分と一緒に塩分・しょっぱい物を口にしますか?  
  口にする。2人 口にしない。8人
 

(1)
水分を取らない86歳の男性は、のどがかわかないからとの事。 

(2) 
塩分を取るお二人は、・梅酢を水で薄めたものを飲む。・漬物を食べる。
  
95歳女性
さて、質問ですが、のどが渇かないから、水分を取らなくて
良いのでしょうか?
水分を補給するときは、水だけで良いのでしょうか? 
暑く、蒸す;高温・多湿の環境
水分の補給をしないで、長い時間仕事や
運動を続けていると 体温調節 が、
うまくできなくなります。 
このために、
体温の上昇、脱水、血液の循環不全起こします。 
熱中症は、
男性では、20歳~60歳の労働人口の多い年齢に多く見られます。
女性では、圧倒的に65歳以上に多く見られます。
家の中にいても高温多湿のお部屋の場合は危険です。風通しが大切。

暑いときは、末梢血管を広げて皮膚の表面から熱を逃がし体温を下げます
また、汗をかいて汗の蒸発によって 体温を下げています。
血液の量
が、皮膚の下に多く流れて、
内臓には少なくなります。
汗をかくと体の水分と 塩分
(ナトリウムなど)が、少なくなり
血液の状態が変わります。水分不足の状態が
長引くと、体温調整が出来なくなって
体温が上昇。筋肉の引きつけ、意識障害を起こしやすくなります。
さらに熱が
こもれば、体温上昇が著しくなり生命が 危険になります。
急に気温が高くなる
梅雨明けは、体も気温上昇についていきにくい時期ですね。
お忘れなく熱中症。
 
のどの渇きを感じにくくなるのは、
高齢者に多いそうです。渇かなくても
水分補給が大切です。渇いてもトイレが近くなるからと水分を補給しないと

熱中症にかかりやすくて 危険です。
 
暑いときは、クーラーを上手に使って体から余分な熱を取ることも有効です。

あの豪雨から一転して、熱波と渇水が心配になります。


                   
                   ↑上の文字をクリックすると詳しい注意書きが出ます。







昭和1
8年、帝国海軍鹿児島航空隊に入り基礎訓練を受け、鹿屋海軍特別攻撃隊で
終戦を迎えた人の本を読ませていただきました。
もっとも終戦は8月15日ではなく、八月二十一日だった。
突然
「日本は負けたのだ。武装解除する。」デマを含めたまったく意味の
分からないことを上官たちから一方的に申し渡された。
つまり、私たちは一瞬にして捨てられたのです。アメリカ軍の上陸地点の一つとして
多くの陸海軍の特別基地が散在していた南九州。 
血気盛んな軍人、
当然、基地は一瞬ながら戦場と化しました。 
何が起こったのでしょうか?誰と誰が戦争をしたのでしょうか。 純粋な若者を
預かっていた上官の一部が自暴自棄に走ったのでしょうか。終戦の詔勅は、

聞いていなかった。途方にくれながら思い出したのは、 「母に会いたい」

この言葉をたよりに三次を目指して汽車
に潜り込む。まともに動く汽車はなく線路伝いに
歩き出す。親切な農家の人に食べ物をいただき命をつないだ。
熊本県の汽車の走っている駅から汽車に乗り8月30日に広島駅に到着。
小雨が降っていた、異臭が鼻を突く。こじき姿になっていてどう見ても復員兵には
見えません。自分が反逆者のように思えて、窓際で丸くなり人目を避けて帰りました。
海軍飛行予科練習生の試験に受かって入隊し、過酷な教育や訓練を続けてきたのに
突然捨てられて呆然とされた。誰も自分のことで精一杯で自分だけがたより。
 
母への思い、故郷への思いが
作者を生きて帰らせてくれた。戦前の、のどかな
田舎暮らしで育っていたが、戦争の足音が迫ってくる。
校長先生が変わったとたん
軍事教練が多くなる。軍人だった父を見ていたので
軍人になることには抵抗は
なかったと。
軍人になるためにはどうすればよいか、学校で話すことが多くなった。
そういう時代だったのでしょう。軍人に成ることに疑問を感じていなっかった? 
戦前の苦しい村での生活。

戦後の復興の様子や、地域の産業を大事にされてきたことなど興味深く読みました。 
有難うございました。


                                             

戦争体験者の方は、戦争を知らない(知ろうともしない人もいますが)者に、
戦争中何があったのか教えてください。
知ることが大切です。
反面教師の例になりそうですが、イスラエルでは、ローマ軍に絶滅された砦を
聖地として、
2000年後なのに語り継いでいます。
特殊な
国際環境にある国ですが戦争することを語り継いでいます。
平和を語り継ぐのは大変です。

忘れて欲しくない人です。が、知らない人のほうが多い現実。
語り継ぐことが下手になったですね。 
私たちも知りませんでした。
 ぜひ、ジュノーの活躍・苦悩の一場面でも知ってください。
国を超え、人種を超えて、無償の愛に生きたジュノーの
生涯。
アニメーション映画が出来ました。
三次でご覧いただけます。
戦争と平和
人が避けて通れない人類の宿題  

8月22日(日曜日

1
回目  1330

2回目  1510
三次ふれあい会館
  (三次小学校向かい)
入場料 一律 500円

二人の女子中学生が、タイムスリップして、ジュノーの生き方を知ります。
勇気と希望が大切;ぜひご覧ください。

※チラシ、新聞記事はこちら