Friendly eye information
あんどう眼科医院
三次市三次町巴橋西詰
No283.2010.6.24 ~院内にて配布
     
          お知らせ
○8月13日(金)~16日(月)は、
 お盆休みのため休診です。

 ご注意ください。


鵜舟が巴橋の下流まで下ってきます。
 十艘
(そう)連なるときれいですね三次に、
 夏が来た証拠。鮎の育ち具合は、
 いかがでしょうか?気温が安定しなく
 水温が上がらないから鮎の成長が
 遅れていたとの事。最近は水温が
 上がっているそうです。
 今年の鮎をいただきましたが

 香りがあって、美味しかったので、
 一安心です。

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6月13日に梅雨に入ったものの
 
 梅雨空は、三日ぐらいで今のところ
 結構暑い天気ですね。汗やら、
汚れやらが
 顔につきやすくなっています。
 ものもらいや結膜炎の人が
増えています。
 汗をかいたら、顔を水で洗う事を
 習慣にしましょう。
今年の梅雨は、
 降るときにはまとめて降る
 集中豪雨になるのでしょうか?
 南九州が、大変ですね。油断は禁物ですよ。


 
6月22日からNHK教育
テレビの 
 まる得マガジン
築地のプロ直伝 
 野菜のメキキ
3月の放送が
 再放送されています。

 午前
635640(月~木)

 午後
155200


 トマトは、2月3月が旬、小ぶりのものを
 買って、冷蔵庫に入れないで成熟させるのも
 いいらしい。
テキスト 600円
 
 たまねぎは、引くように包丁で切ると、
 目にしみにくくなります。


何のことでしょうか?ふれあいNO278でご紹介していた
    点眼方法の続きです。
(1)指先の親指からの三本で、点眼びんをにぎりましょう。
(2)反対の手の指で、下まぶたを軽く引き下げましょう。

(3)軽く点眼びんの底を人差し指で押しましょう。
    一滴上手にさしましょう。

(4)両目にさしたら静かに目を閉じて、
    三分ぐらいは閉じたままにしましょう。
 
 なぜ、閉じたままが良いのでしょうか。
ふれあいNO272の目の閉じ方でお話ししましたように、
パチパチとまばたきを
繰り返すと
目薬は自然と目頭に押し出されてしまうからです。
さらに、涙は
上まぶたの外側にある涙腺から分泌されていますので、
涙でも目薬を押し流してしまいます。
目を閉じても、眼球をグルグル回している人が
いるそうです。目薬がすみずみまで回るようにと
考えてのことのようですが、
かえって目薬の効き目を少なくするようなものですね。
一滴もしくは二滴で十分行き渡ります。
特に眼圧を下げる緑内障の目薬をさした後は、
まぶたを閉じて、目薬が眼内にしみこむまで五分くらい待ちましょう。



             

         ブックショップ マイタウン定価
945円 
                  
平成2012月発行

  613日(日)の午後11時ごろにNHKBSハイビジョンを見たら
縄文人の話をしていました。ハイビジョン特集
(私たちはどこからきたのか~
日本列島人の起源に迫る)という番組でした。
ご覧になりましたか?

 広島放送局に勤務していた井上あさひアナウンサーと
東京上野の国立科学博物館の馬場悠男さんが番組を案内していました。

インターネットで国立科学博物館の
ホームページを開いてみると
番組で紹介されていた場面の展示物がたくさんありました。
実物を見に行って、みたいですね。
 
 たまたま手元に持っていたこの本と

内容がほとんど同じようでした。

  4
万年前~     旧石器時代 
  15000年前~   縄文時代 
  2900
年前~    弥生時代 
  1750年前~    古墳時代 
縄文時代は
12000年続いたのです。最近の時代区分だそうです。
 
             

 この表のように縄文時代は、さらに細かく
6期に分けられています。
縄文土器と食物の関係で分けると 分かりやすい。

ドングリ類はクヌギとかナラのドングリで
粒のままのアク抜きをしていた。
 製粉してアクを抜く技術は

4000
年前ごろの温暖化が進むころまでなかったそうです。
先のとがった尖底土器にドングリを入れて、
底に石を当てて浮かせ火のあたりを良くしていたと。
湯を沸かすこと一日
40回し、3日間繰り返した。

 ドングリのアク抜きは大変でした。
取ったでんぷんを団子にして焼いて食べた。
後期になると網目模様のスタンプ形土器を作って、この団子に模様をつけて食べていた。

なかなかおしゃれでした。
ただのロープの縄模様をつけていたと思ったら大違いです。
縄文人は漁業もよくしたそうです。ヤスや、モリを進歩させた。文化水準が高くなったと。
縄文人にも色々な人たちがいて、サハリン・北海道経由のマンモスハンターや、
海水面が
120メートル下がっていた旧石器時代に朝鮮半島南部から、せばまった海峡を
丸木舟のようなものを使って渡ってきた人たちの子孫が縄文人になったようです。
色々な時代に色々な地域から日本列島に来たらしい。瀬戸内海は陸地だったらしい。
韓国南部と北九州は往来の盛んな地域だった。

稲作も縄文時代末期にこの地域から伝えられ、
あるとき急速に広まったそうです。

弥生時代に変わっていくわけです。
 
講演会の内容を本にされていますので、読みやすい本です。ぜひお読みください。


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