三次の鵜飼
鵜飼の由来
鵜飼は、水にもぐって魚を巧みに捕まえる鵜の習性を利用した古代からの漁法で、古事記や日本書紀、万葉集にも見ることが出来ます。
 三次では戦国時代の末期、寛永年間(1558〜1569)毛利氏に敗れた尼子氏の落武者が、川岸や水中を歩き1〜2羽の鵜を操って鮎を取った『徒鵜』(かちう)が始まりといわれています。
 その後、寛永年間(1624から1645)に参勤交代の折、岐阜長良川の鵜飼を、見た初代三次藩主「浅野 長治」により鵜匠制度が確立され、鮎を養殖して放流したり、鵜を北海から取り寄せるなど、藩の手厚い保護もあって、現在のような小船を使い数羽の鵜を操る船鵜飼が盛んになりました。
 大正時代に入って納涼遊覧が流行したことから、泊まり客に対し鵜飼を公開したのが観光鵜飼のはしりで、現在に続いています。
 夜のとばりが川面に降りるころくりひろげられ、烏帽子、腰みの姿の鵜匠の巧みな手綱さばきに操られる鵜は、赤々と燃えるかがり火に映し出され、川面を渡る風は涼しく、430年の伝統を誇る優雅な歴史絵巻は夏の夜の叙情をかきたてることでしょう。
鵜飼 うかい